トラウマは存在しない(断言)

 

アドラー心理学では、
なぜ「トラウマは存在しない」と断言しているのか。

 

この議題は、丁寧にリーズンホワイ(なぜなのかという理由)を説明しなければ、
反発しか生まないので、全ての話に理由を添えながら丁寧に解説しています。

そのため、興味のない人には、
ただ長いだけの記事になりますが(それでも5分もあれば読める量ですが。笑)、

あなたが今まさに、トラウマを抱えて悩んでいる、
または最愛の人がトラウマに苦しめられているのであれば、

今すぐテレビの電源は消していただいて、熱いコーヒーでも飲みながら、
ゆっく~~り、じっく~~り、倍の10分かけて、ご精読いただければと思います。

 

僕からは「変わるキッカケ」を提供するだけなので、
変わるか変われないかはあなた次第ですが、

あなた(またはあなたの最愛の人)の明日からの人生が、
180度変わる可能性はすごく高い内容になっているかと思います。

 

 

3つの前提

 

では、このトラウマの議論に移る前に、
前提として必要なものを3点、補足しておきます。

 

まず1点目として、目的論の理解が必要なので、
まだ記事を読まれていない方は、下記のリンクより、お読みいただければと思います。

たまには真面目な話をします。

 

そして2点目は、トラウマの定義についてです。

トラウマとは:過去の経験による精神的ショックや恐怖が原因で起きる心の傷

これがトラウマの定義になります。

 

最後の3点目は、トラウマに関する「アドラーの教え」です。

 

いかなる経験も、それ自体では
成功の原因でも失敗の原因でもない

我々は自分の経験によるショック、
いわゆるトラウマに苦しむのではなく
経験の中から目的に適うものを見つけ出す

自分の経験によって決定されるのではなく、
その経験に与える意味によって自らを決定する

 

・・・???

ん~、少し難しいですかね(笑)

でも、ご安心ください。

今回の記事では、この話の本質の部分を徹底的に解説していきますので、
この記事を読み終えるころには、あなたも「アドラーの教え」の真意を理解できているはずです。

 

それではいよいよ、僕のブログ史上、最も白熱する(であろう)議論に移りましょう!

 

 

外的な刺激と内的な反応

 

自分の経験によって決定されるのではなく、
経験に与える意味によって自らを決定する

「アドラーの教え」の中でも、この最後の部分に全てが詰まっているので、
この言葉の"真意"について解説をしていきたいと思います。

 

まず、普段の生活の中で、誰しも、「外的な刺激」を受け、
それに対して「内的な反応」を示すというのを繰り返しています。

 

実際の例を見ていただいた方が、
よりイメージしやすいと思いますので、いくつか挙げてみますね!

 

例1)上司に怒られた

上司に怒られたというのは外的な刺激

その経験にどういう意味を与えるかは内的な反応

 

ということですね。
次はもう少し具体的に・・・

 

例2)最愛の人を亡くした

<外的な刺激>

最愛の人が亡くなった

 

<内的な反応>

◆後ろ向き
→ もう生きる気力がなくなった
→ 生きてる意味がない

◆前向き
→ 失ってからでは遅いけれども、失ってしまったことで、
生きている時には実感しきれなかった、たくさんの愛とありがたみに気づけた
だからこそ、その最愛の人からもらった無償の愛を、次は私が他誰かに与えていこう

 

例3)恋人に振られた

<外的な刺激>

彼氏(彼女)と別れた

<内的な反応>

◆後ろ向き
→ 寂しい
→ もう何にもやる気が起きない

◆前向き
→ もっとより良い人と出会えるチャンス
→ 今回のお付き合いで得られた教訓や経験を今後に生かしていこう

 

そう!このように、
「外的な刺激」「内的な反応」の間には、明らかに"スペス"があるのです!

 

つまり、外的な刺激(交通事故に遭った、大災害に見舞われた、最愛の人を亡くした)が、
そのまま内的な反応(悲しい、辛い、苦しい)になるわけではないということです。

外的な刺激に対して、自分がどんな内的な反応を示すかは、自ら選択できるのです。

 

 

あなたの主観が全てを決定する

 

「外的な刺激」と「内的な反応」の類似の概念に、
「客観的事実」と「主観的解釈」というものがあります。

外的な刺激 → 客観的事実
内的な反応 → 主観的解釈

という感じです。

 

これも実例を挙げてみますね!

 

たとえば、野球でピッチャーをしていて
130kmのストレートが投げられるようになった経験があったとします。

ここでの「130kmのストレートが投げられた」というのは客観の数字、
つまり動かしようのない客観的事実ですよね。

その客観的事実に対して、
どのような反応・主観的解釈をするかはあなたが選択しているというわけです。

130kmのストレートはもう十分に速いとか、
いや、130kmじゃまだまだ遅いとかっていう感じですね。

 

そして、ここからがすごく大事なのですが、
その主観的解釈(十分に速い!まだまだ遅い!)には、必ずそう思いたい目的があります。

 

たとえば、もう十分に速いとしたい目的には、

・もうこれ以上、大変な練習をしたくない

・自分の学校のピッチャー陣の中で最速だからもう満足したい

などがあると思います。

 

また、いやまだまだ遅いとしたい目的には、

・もっと早い球を投げられるようになりたい

・他校のライバルピッチャーはもっと速い球を投げているから負けたくない

などがありますね。

 

では、もう一つみてみましょう!

 

例2)学校のテストで90点を取った経験

<客観的事実>

90点というテストの結果

<主観的解釈>

・90点で満足
・90点じゃ不満

<目的>

◆90点で満足
→ これ以上大変な勉強をしたくない
→ よくやったと自分を肯定したい

◆90点じゃ不満
→ 得意教科だったから100点を取りたい
→ 友達がみんな自分より点数が高くて、それを超えたい

 

となります。

 

なので、突き詰めて、もっと深い真意まで考えるなら、先ほど解説した

「外的な刺激に対して、自分がどんな内的な反応を示すかは自分で選択できる」

という話の通り、主観的解釈というのは自分で選択しているのですが、

 

その主観的解釈の選択をする基準は、

未来の目的に適うもの(達成できるもの)

だということです。

 

さらに、実際の例で見てきた通り、

その目的を達成するための手段として、色々な感情を作り出しているのです。

 

つまり何が言いたいのかというと・・・

あなたが仮に何かしらの"トラウマ"を持っているのだとしたら
それは"トラウマ"ではなく、

あなた自身が、「心の傷を負いたい!」という目的を持っていて、

それを達成するための手段として、過去の経験を"トラウマ"と定義し、
「苦しい」「辛い」「トラウマが怖くて何もできない」という感情を作り出している

ということです。

 

では、どんな目的があって、
わざわざ「心の傷を負おう」という辛く苦しい選択を、自らしているのか?

それには、以下のような理由が考えられます。

※あくまで「一般的な憶測」です。

 

◆パターン1

<過去の経験>
会社で上司に叱責された
学校でイジメを受けた

<目的>
対人関係の中で悩みたくない

<手段(感情)>
外出できない、学校に行けない

<結果(今の行動)>
自室に引きこもり、人と接しないようにする

 

◆パターン2

<過去の経験>
パワハラやセクハラの被害を受けた
連日長時間労働させられた

<目的>
社会の荒波にのまれたくない
仕事をしたくない

<手段(感情)>
パワハラ・セクハラの恐怖、連日の長時間労働に対する不満

<結果(今の行動)>
仕事に従事せず、ニート暮らしをしている

 

◆パターン3

<過去の経験>
心から愛した恋人に振られた

<目的>
もう二度と愛する人に振られて傷つきたくない

<手段(感情)>
恋愛恐怖症、男性(女性)恐怖症

<結果(今の行動)>
恋愛すること(男性もしくは女性とかかわること)を避けている

 

これと同じような行動を取った経験が、あなた自身あるかもしれないですし、
あなたの身近に同じような人がいるかもしれないですね。

 

その場合、まずは、当事者の目的を理解するように努めてあげてください。

その上で必要なことは、当事者と対話をすることと、
結果から逆算(今の行動→手段→目的)して考えることの2つです。

さらに、その目的を解決するためにはどうすればいいのかを
当事者と一緒に考えてあげましょう。

そして、マイナスの目的が解決され、プラスの目的に転換できれば、
今の行動は"必然的に"より良く健全なものに変わっていきます。

 

 

これらを踏まえた上で、アドラーの教えの教えをもう一度、復唱しましょう!

 

いかなる経験(外的な刺激・客観的事実)も、
それ自体では、成功の原因でも失敗の原因でもない

我々は自分の経験(外的な刺激・客観的事実)によるショック、
いわゆるトラウマに苦しむのではなく

経験恋人に振られた!イジメを受けた!)の中から
目的(二度と愛する人に振られたくない!対人関係の中で傷つきたくない!)
適うもの(私は恋愛恐怖症!学校に行けない!などの感情)を見つけ出す

自分の経験(外的な刺激・客観的事実)によって決定されるのではなく、
経験に与える意味(内的な反応・主観的解釈)によって自らを決定する

 

お分かりいただけたでしょうか。

(3回ほど読み返していただければ、すべてを理解できるかと思います。)

 

だから、「トラウマは存在しない」なのです。

トラウマとは:過去の経験による精神的ショックや恐怖が原因で起きる心の傷

 

なぜなら、すべては、過去の経験(客観的事実・外的な刺激)ではなく、
未来の目的を成就するために、その経験に対して、あなた自身が施した、
主観的解釈・内的な反応によって「今のあなた」が決定されているからです。

つまり、過去の経験(トラウマ)それ自体によって悩み苦しんいるのではなく、
そうしたい目的が先にあり、そのためにあらゆる感情を作り出しているということです。

 

誤解してほしくないので、お伝えしますが、
僕は感情の存在を否定しているわけではないです。

人間であれば誰しも感情はあります。

しかし、「人間は自分の感情にあらがえないほど脆弱な存在か?」
と聞かれれば、それは断固として否定します。

 

たとえば、母が子供に怒り狂い、玄関前で怒鳴り散らかしていたとしても、
ご近所の人がその前を通れば余所行きの声と表情で和やかなあいさつを交わし、
それが終わると、またすぐに子供に怒り狂うことができる

時々みる光景ですよね(笑)

 

このように、感情というのは、
目的を達成するために作り出された、出し入れ可能な道具に過ぎないのです。

(ちなみにこの場合の母親の目的は、「子供を屈服させて自分の言うことを聞かせたい」です。)

 

また、大震災の被害を受けたとか、両親を幼いころに亡くしたなどの経験が、
人格形成に及ぼす影響が0だとは言いません。

影響が強くあるのは理解しています。

 

しかしそれらに関しても、
経験それ自体(大震災の被害を受けた、幼いころに両親を亡くした)によって
あなたの今が決定されているわけではないのです。

その経験に対して"あなた自身がどんな意味を与えるかによってのみ"
今のあなたが決定されるのです。

 

 

~追伸~

 

今回の記事は、あまりにも厳しい話のように聞こえるかもしれません。

人によっては、到底受け入れらない概念であることも想定内です。

 

ただ勘違いしていただきたくないのは、
トラウマを抱えている人を糾弾する(非難する)つもりなどは一切ないということです。

むしろその逆で、トラウマの檻から救ってあげたいと思っていますし、
アドラー心理学を理解することができれば、それは現実的に可能なのです。

だからあえて、今回はこのような心を射抜くような厳しい話をしました。

 

最後になりますが、
僕(そして僕たちアドレリアン)が言いたいことは、つまりこういうことです。

 

過去の辛く苦しい経験によって、
今が決定されてしまうほど、人間は弱い存在ではない

未来は、あなたがどういう主観的解釈を選択するのかによって
いくらでも変えることができる

そのために必要なものは「トラウマを捨てる勇気」である

 

では、本日はこの辺りで。

いつも有難う御座います。

 

凌太

 

1 個のコメント

  • 経験ー目的ー手段ー結果
    の4ステップで解説なされておりますが、経験と目的の間にもう1ステップ「快か不快かどちらでもないかの判断」が存在する気がするのですがいかがですか。

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